同じ火でもそれぞれ

先日、弟子の石村と可能性クラブの会の方向性についていろいろと語り合いました。

弟子の石村は、太陽射手座。

私は、太陽獅子座。

二人とも太陽が火サイン。

火サインの太陽ということは、基本的には燃えることが重要で、人生を燃焼させていくタイプ。

とはいえ、同じ火サイン同士でも、違うサインなら出方がちょっと違ってくる。

私は獅子座なので、輝きというものを大事にしていて、可能性クラブも一人ひとりが輝いていくようなことを促していくような会にしていけばいいのでは?と思ったりする。

今回の話し合いで、石村としては射手座的な面が出てきてるなあ、って思わせる展開に。

射手座というのは、思想的哲学的宗教的な精神的な面が強い。

石村としては、可能性クラブをこういう射手座的なものにしていきたい、っていうような感じを今回の話し合いで感じました。

同じ火でもそれぞれ。

同じ火、同じ地、同じ風、同じ水でも、違うサインであればそれぞれの出方がある。

同じ火でも牡羊座だったら、どんどん新しいことにチャレンジしていくような、開拓者的な活動になっていったり。

今回の石村との話し合いでも思ったのは、射手座って、精神世界系なんだなあ、ってつくづく感じました。

獅子座のようなただ輝けばいい、ってもんじゃない。

精神的な深い探求というようなものが射手座には必要。

そういう精神の探求によって自分を成長させていくのが射手座。

そういうことがすごく分かりました。

同じ火でもそれぞれ。

同じ火同士だからといって、なにもかもが全く同じではない、ってことですね。

これは地同士、風同士、水同士でもいえることです。

それぞれの違いを尊重していく。

そういうことが大事なんですね。

石村主宰の可能性クラブは、射手座的な精神への探求を深めていくような会になってゆくのでしょう。

射手座の精神への探求には脱帽です。