雨宝院室生犀星ゆかりのお寺

金沢市の雨宝院は、千日山と号し、高野山真言宗に属する。いわゆる、寺町寺院群に含まれるお寺である。

雨宝院。

金沢市千日町、犀川沿いにある。

歴史

聖武天皇の御代、天平八年736に越智の泰澄大師が白山の妙理大菩薩に霊告と六句の秘文とを授けられ、この地に来て、大日如来を本尊とし、秘法蜜場として精舎を草創したことがそもそものおこりである。

その後、八百五十年余を経て、文禄四年1595に大和国の大徳雄勢が伊勢神宮に一千日参詣し、満願の暁に霊告を受けて来錫。堂宇を再興して今日に至る。

さらに、雄勢は泉野原で伊勢神宮に向かって五千日の修行を行い、慶安二年1649に九十六歳で入定した。その地を千日塚と呼んだが、今は不明で石碑文が境内にある。

寺号について

大日如来天照大神は、神仏習合の考え方によって同一視される。

当寺の寺号雨宝院は、大神の十六歳のお姿を雨宝童子であると説いた密教経典に由来する。

山号について

雄勢上人を世の人が千日和尚と呼んだため、これにちなんで千日山と号した。

なお、郷土史には千日町の名前もここから付けられたとされている。

室生犀星との関わり

金沢の文豪室生犀星は、当院二十二世眞乗法印の養嗣子となり、幼少から青年期にかけて当院で過ごした。犀星は愛の詩集性に目覚める頃杏っ子をはじめ数の名作を残した作家である。

開祖とされる泰澄は白山を開山したとされる人物で、金沢では当寺の他に泉野櫻木神社仰西寺などの神社仏閣創建に関わっていると考えられている。

泰澄が生きたのは奈良時代。そこから雄勢による再興を経ながら、信仰が脈と受け継がれて今日に至っているのである。泰澄雄勢の生涯とともに、当寺の歴史も非常に興味深い。

なお、当寺は文豪室生犀星との関わりでクローズアップされることが多い。室生犀星ゆかりの場所めぐりの一環として、当寺を訪れてみるのも良いのではないか。

参考:雨宝院の由緒書きを参照